通勤電車と逆方向の電車に乗ってみたいという欲求を押さえ難くなったときがあって、本当に逆方向に乗ったことを思い出した。いい天気で電車はがらがらで、欠勤の電話を会社にして、そうして熱海まで行って1000円を払って温泉に入って帰ってきたんだった。熱海も人はあまりいなくて、猫がいたるところで眠そうに日向ぼっこしてた。なんで急にこんなことを思い出したかと言うと、その日ちょうど今日みたいな空だったからです。

甘言に踊らされて、辛い決断をした友達は、こうだった、ああだったとわたしに思い出を語った。わたしの相槌以外の言葉は、どれも彼女の上を滑るだけで届いていない。だからただうんうんと頷いていた。それにずっと気付かない振りを続けるか、これもありだと踊るのを続けるか、他にもいくらかの選択はある。踊っているうちは楽しくて自分にもいくらか酔える魅力的な舞台でも、踊らされていると気付いた途端に全ての意味がなくなる。彼女は気付いて、そして踊るのをやめた。やめる選択をした彼女が好きだ。しばらくは辛いかも知れないけれど、これからいいことあるよ、とわたしが言うと、彼女はそうだねと笑った。

ストーブをつけてホットカーペットの上に寝っころがっていたらいつのまにか眠ってしまった。眠るのはいい。幸せだ。暖かく目覚めたその一瞬だけは、全てのものが柔らかくおぼろげに優しく見える、それがうたた寝であればなおいい。うとうとと半分眠りながら安らかに過ごす時間のなんと貴重なことか。

粒の小さい、固い雪が降っている。いつも通り犬と散歩するために外に出る。最初は寒さに体が縮こまるけど、歩いているうちにそんなに寒さは感じなくなった。息がタバコの煙を吐くときのように白い。息を小さく何度も繰り返す。「迷った時は深呼吸をして、どうするべきかを考えるより腹を括れ」と言った人を思い出した。わたしは頭の中に何を蓄え、何を育て、そしてそれをどう考えているんだろう。自分は悩んでいる、迷っていると思っているわたし。本当はどうなのか良くわからない。犬はいつも通り散歩が楽しくて仕方ないようだ。
 

戦場のピアニスト」をやっと観た。銃声のバンバンいう映画は苦手だ。途中まで胸に鉛を押し込まれたような気分で鬱々と観ていたけど、残骸のような建物の中でドイツ人将校を前に生ける屍のごとくただ一心にピアノを弾く主人公とそのピアノの音色は、この上なく悲惨だけど、驚くほど、とても美しかった。
 
昔はハッピーエンドの映画はあまり好きじゃなかった。今は、そうでもない。わりと好きだ。こういう映画を直視する力があまりなくなってきているのかなと思う。どっと疲れるのに、見終わったあといつまでもわたしに残って、たまに思い出してどうにもやり切れない気分になる。でも観てよかったです。いい映画でした。

つまりわたしは、特に難しくもないことを、もっともらしく頭の中で言い訳して、ややこしい大問題にするのが得意なんだな。ははあ、なるほど。形はもっとシンプルだ。眼鏡をかけよう、昼間みたいに明るくても。

雨は虹を作って、青い鳥は全ての人たちに幸せを運ぶ。明けない夜はなく、雷鳴は早く家に帰りなさいと教えてくれる。なんて甘いんだ。無責任な幸せだ。可能性や夢ばかり語る言葉は、不安定で確信は何一つない。だけど、優しい薬が気付かせてくれることはたくさんある。そしていつだって、そんな言葉の可能性はゼロではない。だから、わたしは何度でも言う。可能性やタイミングは無限にある。あなたの歩く道の先は、きっと晴れている。